高木重朗の「マジック入門」は思い出深い書籍である。
この書籍を読んでいなければ、手品に興味を抱くこともなかったと思う。
しかし、小学生にとってこの書籍はあまりにも難しすぎた。だって、1980 年頃だべ。地方都市だべ。近くにそれを実演して見せてくれる人もいないのだべ。
クラシック・パームなんて本当にできるのか?本当に手品の種がこんなものなのか?これが、本当の手品の秘密なのか?といった疑問に答えてくれる人など周辺には皆無だった。
案の定、長い間クラシック・パームのやり方を間違えていた...。
今ならこれら全ての疑問に答えることはできるし、この書籍の価値も分かる。だからこそ思うのだけど、子供には高度だよな、と。
だけど、この書籍で覚えて今でもよく行う手品がある。輪ゴムを使ったものとキー・カードを使ったそれである。
子供の頃にいろんな人に行った。こちらがびっくりするほどに見せた相手は驚愕する。「なんでこんな当たり前のことがふしぎなんだろう?」。「なにが不思議なんだろう?」と、子供心に奇妙に思ったことを良く覚えている。
手品の種ってそんなものなんだけど。
(明かしたくなる誘惑はあったけど)種は明かさなかった。
この書籍、本当に内容が高度で難しかった。本当にこんなことできるのか?とたびたび考えては飽かず読んでいた。しかし、子供のことである。興味は次第に他のことに移り、読む頻度も少なくなり、いつか、捨ててしまった。
今、思えば「すげー、もったいない」ことをしたものである。本当の価値が分からなかったのである。今、読みたいと思っても既に絶版になっている(わりと手に入りやすい古書の部類だけど)。
私にとって思い入れの深い書籍なのである。いまなら、インターネットが身近なものになり、手品の専門的な書籍だって簡単に手に入れる事ができるし、実演だって YouTube などで簡単に見る事ができる。
素朴にうらやましいと思う。
この書籍と出会った小学生のあの頃、どれだけこれらの情報に渇望していたことか。隔世の感がある...。
現在の情報過多に批判的な向きもあるけど、情報が無いよりはいいのである。情報をどう利用するかは使う人の問題であって、情報それ自体に良いも悪いもない。
とはいうものの、現在の自分がこの情報過多の中にあって子供の時より手品に情熱を燃やしていたり、満足したりしているのかといえば、そうでもなかったりするのが「言ってることとやってることが無茶苦茶じゃん」というところなのだけど。この辺りが人間という生き物の面白いところでもある。
人間を「矛盾を内包しているもの」と表現したのは誰だっかか?
...と、とりとめもないことを書いたけど、たまにはこういうのもいいかな?
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